異文化の地で、他人をがっかりさせることを楽しめるようになる
【ライアンのブログより】
ある意味、友人や同僚を失望させるのは良いことです。
2006年に私が日本で暮らし始めたとき、剣道の稽古の後の飲み会で、ピッチャーで次々とビールを飲むということで有名になりました。
そのころ、日本では、お酒は社会の重要な一部でした。
「カンパイ」の乾杯の音頭をとって酒が入ると、まるで別世界に入ったような気分になりました。
堅苦しく、控えめで、慎重なプロフェッショナリズムが、オープンな会話、ばかげたジョーク、純粋な陽気さにすぐに取って代わられるのに驚かされました。
日本では、多くの人にとって、お酒を飲むことは趣味のようなものでした。
日本人は世界で最も長生きする民族の1つです。
しかし、私個人の話をすると、アルコールに依存するようになったことがあります。
毎晩の飲み会が続いたり、家でのビールがやめられなくなり、人生が崩壊しそうになりました。
ありがたいことに、すべてを失う前に止める力を与えてもらいました。
予想通り、このことが私の日本での社会生活にブレーキをかけることになりました。
私の禁酒は、日本人の友人、同僚、クライアントは、私が彼らからの信頼の一部を失ったと実感するほどに、失望しました。
サーファー仲間には影響なかったのですが、仕事上の付き合いでは明らかに違いがありました。
彼らは、私と一緒にお酒を楽しめなくなったことにとても失望したのです。
しかし、彼らの落胆を心地よく受け止められるようになったことが、私の人生を救いました。
また、ビジネスでも役に立ちました。
ある日本人のクライアントが、契約外のことを次々に要求してくることがありました。
クライアントを失望させたくありませんので、要求が増えるのに合わせて契約変更を提案したところ、クライアントはショックを受けたようでした。
クライアントの他の日本人の請負業者は、同じ報酬でより多くの仕事をすることを受け入れているようでした。
以前の私なら、おそらく同じように要求に応えていたでしょうが、お酒をやめてからというもの、私は人を失望させることに快感を覚えるようになっていました。
そこで私は彼と契約を終了する決断をしました。
この経験は、とても良い勉強になりました。
異文化の文脈の中では、人を失望させることは悪いことではないのだ、ということを学びました。
外国で働くビジネスパーソンには、仕事のやり方や人とのコミュニケーションなどさまざまな変化があると思います。
無闇に人を失望させるのは良くないけれど、それが個人的にもビジネス的にも良い場合もあります。