価値観と不条理主義~「同じ価値観を共有しない者は、敵である」

ライアンのブログより】

「複雑さを深く理解することができれば、矛盾はなくなるはずだ」と考えていました。

アメリカで、技術系企業の研修プログラムを手伝っていたときのこと。

彼らが何を望んでいるかがわかると、私はその作業を続けたくなくなりました。

複雑すぎるからではなく、気味が悪かったからです。

その会社は、社員と契約社員が共有しなければならない「会社の価値観」のリストを一生懸命に作っていました。

価値観といっても、正直とか、思いやりとか、言ったことは必ずやるというような意味ではありません

役に立つように作られた、そして確かに「本当に」キャッシュフローを妨げないように作られた、一種の発明された価値観の集合でした。

例えば、「情熱的な参画(Impassioned Engagement)」や「顧客中心(Customer Focused)」といった、チャットツールなどでブレインストーミングをするような価値観のことです。

この種の価値観は、私が知る限り、数十年前に流行りだしたもので、企業にとっては、指針や説明責任に利用することができます。

私は以前、日本での顧客企業での会議中に、ある社員が、誠実に、「この提案はうちの会社の重要な価値観(コア・バリュー)に反すると思う。」と発言したときのことを覚えています。

その意見に、上司を始めとした会議参加者が耳を傾け、数週間後には提案が変更されたことがあります。

このようなことが実際に起こることで、価値観というものを大切にできるのです。

個人レベルでも、親しい友人との話でも、こういうのは価値観の良い使い方です。

しかし、それでも、多くの場合、価値観と呼ばれて作り上げられたものは空虚であり、状況に応じて拾ったり捨てたりするものです。

もっと悪いのは、道徳的な境界線のモデルとして使われることです。

「同じ価値観を共有しない者は、敵である。」

特に企業では、価値観は人為的に作られた道具であり、個人や組織が成長するにつれて置き換わっていくものなので、固定せずに、柔軟に持つべきです。

価値観は時には羅針盤として有用ですが、それを道徳と勘違いしてしまうのは危険です。

特に、ある集団がそれを武器にし始めたとき。


冒頭で触れた、アメリカの技術系会社の研修の話に戻りますが、この経営者グループが望んでいたのは、彼らが作り上げた価値観を、社内研修を通じて、社員のみならず契約社員にも強制することでした。

社員と契約社員は、新しい価値観のリストを完全に体現しなければならない。

このリストは、数日前に作成されたばかりでした。

会議で発言を求められた私は、正直に、「このような価値観の強制は、教科書的な全体主義的思考のように見えるし、エグゼクティブ・チームではなく、カルトのリーダーが望むようなもののように感じる」と言いました。

その発言に対し、「私たちの価値観を体現する気がない者は、私たちとは仕事をせず、出て行けばいい。」という答えが返ってきました。

私はその時、もう一緒に働かないという決断をしました。

カルトやギャングを過去に経験したことがある僕のスパイダーセンス(スパイダーマンが持つ特殊能力:危険を事前に感じ取る第六感)が、ここから去れと言いました。

ここで不条理(常識に反すること)主義の美しさが出てくる。

常識に反すること(パンク)は、他人があなたに植え付けようとしている考え方から抜け出すための扉です。

それが価値観であれ、規範であれ、全体的な視点であれ、パンクはそれらを突破して秘密のトンネルを開けてくれるのです。

個人的には、マルクス兄弟(1910年代~40年代に映画や舞台で活動した5人兄弟。のちのコメディ業界に大きな影響を与えた)の映画、ドラゴンボールZ、サイバーパンクやスチームパンクなどが好きです。

後者は、パンクを準備する最も健康的な方法です。

このような映画に含まれている価値観の中には、もっと深いものがあることに気づかされます。

自分の中にパンクが一度出現すると、多くの場合、物事を新しい視点で見ることができ、より明晰な判断力を持つことができるようになります。

認知発達理論でいえば、客観的なものを主観的にすること、アダプティブ・リーダーシップでいえば、バルコニーに上がってダンスフロアを見るようなものです。